MLB査定図鑑
MLB選手の能力値データベース / 1980–2025
PLAYER FEATURE / BARRY BONDS / 2004

2004 バリー・ボンズ投手が彼との勝負をやめた年

出塁率.609、232四球、120敬遠、45本塁打、41三振。2004年のバリー・ボンズは、打った数字だけでなく『相手がどう逃げたか』まで記録になった。

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出塁率.609MLB単年最高
OPS1.422MLB単年記録
四球232MLB単年記録
敬遠120MLB単年記録
HR / SO45 / 41HRが三振を上回る
WHY 2004?

「勝負する」という前提が壊れた年

2001年以降、ボンズは打撃において異次元の成績を残してきた。2001年の73本、2002年の打率.370。だが、もっとも異様な1年は2004年だ。相手バッテリーがボンズを打ち取ることより、そもそも打たせないことを優先し始めたからだ。

147試合で232四球。そのうち120が敬遠。MLB.comのシーズン記録では、出塁率.609、長打率.812、45本塁打、41三振。歩かされ続けながら、ストライクが来た瞬間だけを仕留める。2004年は主要3タイトルよりも、ボンズの率に注目が集まった年かもしれない。

出塁率.609MLB史上初の6割台
四球232単年MLB記録
IBB120単年MLB記録
HR / SO45 / 41本塁打が三振を上回る
01 / THE GAP

ひとりだけ別の競技をしている

2004年の出塁率2位はトッド・ヘルトンの.469。普通なら歴史的な数字だ。ところがボンズはそこからさらに.140上の.609。OPSでもボンズは1.422で、アルバート・プホルスの1.072、ヘルトンの1.088を大きく引き離した。

基本的に野球は3割打てれば御の字、投手有利なスポーツのはずだが、ボンズの場合は対戦の6割勝っていることになり、野球というスポーツの常識すらひっくり返している。

2004 MLBトップ打者との距離
Todd Helton
OBP .469
Albert Pujols
OBP .415

四球数もボンズの232に対し、2位はボビー・アブレイユら3名の127。差は倍近い。結果的にボンズは617打席立って、373打数しか記録されていない。打席のかなりの部分が、バットを振る前に終わっていた。

出典:MLB.com 2004 Hitting Leaders/MLB.com 2004 Walk Leaders

02 / FEAR

伝説の120敬遠

ボンズはこの年147試合に出場しているが、うち121試合で少なくとも1四球を記録し、76試合で複数四球。敬遠は80試合で受けた。シーズンを通して「ボンズとは勝負しない」が日常の戦術になっていた。

120
Intentional Walks

敬遠だけで120。本人の旧記録68を大幅に更新した。

2004年、ジャイアンツはボンズへの敬遠があまりに増えたことを受け、オレンジ色のゴム製ニワトリを「Walk’er(ウォーカー)」という名前で販売。「chicken」には「臆病者」という意味もあるので、要するに「ボンズとの勝負から逃げた=chickened out」という皮肉で販売したのだ。価格は10ドルで、売上は慈善事業へ寄付するという企画だったが、ロサンゼルス・タイムズは6月20日、この企画をジャイアンツ側の“ジョークでの反撃”として報じた。

これは、単にグッズを売っただけではなく、試合にも影響している。ボンズが敬遠されると、観客がゴム製のニワトリを振り回し、右翼外野フェンス付近にもニワトリが掲げられ、売り子の掛け声まで、通常の「peanuts」ではなく「chickens」になっていた。

さらに1998年には、ダイヤモンドバックス戦でバック・ショーウォルター監督が、9回2死満塁でボンズを敬遠し、そのまま勝利しているという伝説もある。

出典:MLB Vault — bases-loaded intentional walk/MLB.com Barry Bonds bioLos Angeles Times — Giants Will Try to Fowl It Off

APR 16, 2004DODGERS @ GIANTS
ボンズに真っ向勝負を挑んだ
サイヤング投手エリック・ガニエ

当時のガニエは前年のNLサイ・ヤング賞投手。この時期は後の大記録となる84試合連続セーブ記録の真っただ中。4月16日のジャイアンツ戦は成功すれば66試合連続セーブとなる試合だったが、それよりもボンズとの対決、すなわち最強投手vs最強打者の対決に注目が集まった。迎えた9回、ドジャースの3点リードでガニエが登板。ボンズとガニエには、2002年の日米野球で交わした「条件がそろったら勝負する」という約束があったと、後にガニエ自身が振り返っている。

ガニエは99〜101mphの速球で押した。ボンズは強烈なファウルを一本挟み、最後は100mph級の速球をセンターへ2ラン。試合はドジャースが3-2で勝ったが、その一打は2004年を象徴する場面になった。

「だから彼は史上最高なんだ。」

— Eric Gagné, 試合後

最強の打者と最強のクローザーが「歩かせずに」正面衝突したからこそ、この打席は特別だった。

MLB.comで動画を見る

出典:MLB Video/SABR/Los Angeles Times

03 / DISCIPLINE

歩かされているだけではない。甘い球をほぼ逃さなかった

敬遠が多いと「打つ機会がなかった」で話が終わりがちだが、2004年の怖さはその先にある。45本塁打に対して三振は41。MLB.comによると、40本以上を打ちながら本塁打数が三振数を上回ったのは、当時史上5人目の記録だった。

相手は常に四球覚悟の際どいコースを攻めるが、ボンズは追わない。カウントを悪くして歩かせるか、ストライクを投げるか。そこで投げ込まれた数少ない勝負球を、今度は長打にする。これをされたら120敬遠問う数字にもうなづける。2004年はパワーだけではなく、選球眼と一球の処理能力が極端な水準で噛み合ったシーズンだった。

出典:MLB.com Barry Bonds bio

04 / MILESTONES

2004年は、記録への旅でもあった

APR 12
660号

名付け親でもあるウィリー・メイズに並び、通算本塁打で歴代3位タイ。

APR 13
661号

翌日にメイズを抜き、単独3位へ。

JUL 04
通算四球記録を更新

リッキー・ヘンダーソンの通算四球記録を抜く。

SEP 17
700号

ジェイク・ピービーから左中間へ。ベーブ・ルース、ハンク・アーロンに続く史上3人目の700本塁打到達者になった。

NOV
7度目のMVP

4年連続、通算7度目のNL MVP。いずれも最多記録。

出典:MLB.com Barry Bonds bio/MLB.com 700 Home Run Club/MLB 2004 Awards

05 / WHAT THEY SAW

対戦した人間ほど、説明が極端になる

GREG MADDUX

殿堂入り右腕マダックスは、ボンズを逆説的に「最も投げやすい打者」と表現した。理由は、重要な場面なら無理に勝負せず歩かせればよかったからだという。

Hall of Fame pitcher
WILLIE McCOVEY

後年、マッコビーは長くテッド・ウィリアムズを最高の打者だと思っていたとしたうえで、最終的には「史上最高の打者は25番」とボンズを評した。

Giants legend / Hall of Famer
ERIC GAGNÉ

2004年4月の直接対決で本塁打を浴びたガニエは、試合後にボンズを「史上最高」と評した。負け惜しみではなく、最高の速球を投げて打たれた直後の言葉だった。

2003 NL Cy Young Award

出典:SABR — Maddux / Gagné/MLB.com — Willie McCovey

06 / AGE 40

開幕時39歳。40歳になるシーズンでMVP

これまでの一連の伝説をこの年齢で達成したという異常さも忘れてはならない。ボンズは2004年7月24日に40歳になった。それでも打率.362でナ・リーグ首位打者、出塁率.609、長打率.812、45本塁打。MLBによれば40歳でMVPを受賞した最初の選手となり、4年連続・通算7度目のNL MVPを獲得した。

年齢による衰えが語られるはずの時期に、相手が勝負を避ける頻度はむしろ最大化した。後述する薬物問題と切り離して語ることはできないが、それでも2004年に残した成績が、MLB史でも異例のシーズンだったことに変わりはない。

出典:MLB.com — oldest MVP / batting champion/MLB 2004 Awards

CONTEXT / BALCO

このシーズンは、ステロイド問題と切り離して語れない

2004年のボンズを語るうえで、ステロイドなどの禁止薬物をめぐる問題を無視することはできない。

発端となったのが、サンフランシスコ近郊の栄養補助食品会社「BALCO(バルコ)」をめぐる薬物事件だった。BALCOは、検査で発見されにくいステロイドなどを複数のトップアスリートに提供していたとされ、2003年に連邦当局の捜査を受けた。ボンズの専属トレーナーだったグレッグ・アンダーソンもこの事件で捜査・起訴の対象となり、後にステロイドの違法流通とマネーロンダリングに関する罪を認めている。BALCO創設者のビクター・コンテも有罪を認め、服役した。

ボンズ本人は2003年12月、BALCO事件を調べる連邦大陪審で、アンダーソンから渡された「クリーム」と「透明な液体」を使用したこと自体は認めている。ただしボンズは、液体については亜麻仁油、クリームについては関節炎用の塗り薬だと説明されており、ステロイドだとは知らなかったと証言した。一方、捜査当局は「the clear」と呼ばれた物質をTHGという合成ステロイド、「the cream」をテストステロンを含む軟膏と位置づけていた。この大陪審証言の内容が2004年12月に報道され、ボンズの記録と薬物問題が大きく結び付けて語られるようになった。

その後、争点は「ボンズが薬物を使ったか」そのものより、大陪審で故意に虚偽の証言をしたかへ移った。2007年、ボンズは偽証や司法妨害の罪で起訴され、2011年の裁判では虚偽証言に関する3件について陪審が評決に達せず、司法妨害1件だけで有罪となった。ところが2015年、連邦第9巡回控訴裁判所の大法廷がこの司法妨害罪についても有罪判決を取り消した。結果として、BALCO事件に関連してボンズに残った刑事上の有罪判決はない。

ただし、有罪判決が取り消されたことは「ステロイドを使用していなかったと司法が認定した」という意味ではない。 裁判で最終的に問われたのは、大陪審での証言が刑事犯罪として立証できるかどうかだった。そのため、ボンズの記録をどう評価するかについては現在まで議論が続いている。

それでも打撃技術そのものまで否定されたわけではない

薬物問題とは別に、ボンズの打撃技術が同時代の一流選手たちから高く評価されていたことも事実である。

2004年に薬物問題が報じられた際、通算755本塁打のハンク・アーロンは薬物使用を批判しながらも、薬を使ったからといって速球やチェンジアップ、カーブを打てるようになるわけではない、という趣旨の発言をしている。その一方で、40歳という年齢での回復力やパワーに薬物が影響した可能性については疑問を呈しており、技術と薬物による身体的効果を分けて考えていた。

通算3,141安打、首位打者8度のトニー・グウィンも、2001年のボンズについて、1試合に数球しか甘い球が来ないのに仕留めていることを評価し、そのスイングの良さを称賛していた。さらに殿堂入り選手ウィリー・マッコビーは後年、長年テッド・ウィリアムズを史上最高の打者だと考えていたが、最終的には「史上最高の打者は背番号25番だった」とボンズを評している。

出典:ESPN — 2004年12月のBALCO大陪審証言報道/MLB.com — Barry Bonds top moments

07 / THE ANSWER
2001打たれた。 2004打たせないことを選ばれた。
SOURCES

主な参照資料