まず数字で見る
2009年の松井秀喜は142試合に出場し、打率.274、出塁率.367、長打率.509、OPS.876。本塁打は28本、打点は90。球場などを補正した打撃指標ではwRC+127で、リーグ平均を100とすると約27%も上回る強打者の水準だった。28本塁打はメジャー10年間で2004年の31本に次ぐ自己2位。28本のうち27本を指名打者として放ち、当時のヤンキースにおけるDHのシーズン最多本塁打記録を更新した。
ただし、この数字だけなら「松井の最高傑作」とまでは言いにくい。2004年には打率.298、31本塁打、108打点、2005年には打率.305、116打点を残している。2009年の特殊さは、レギュラーシーズンよりも、シーズンが進むほど得点に直結する打撃が増え、最後にワールドシリーズで極端な形へ到達したことにある。
ポストシーズン15試合では打率.349、出塁率.462、長打率.674、OPS1.136、4本塁打、13打点。そのうちワールドシリーズだけを切り取ると、13打数8安打で打率.615、3本塁打、8打点。そして優勝を決めた第6戦で3安打6打点。重要な場面になるほど力を発揮するイメージではあるが、実際のデータからもそう読み取れる。6打点はワールドシリーズ1試合最多タイで、松井は日本人選手として初、さらにフルタイムDHとしても初のワールドシリーズMVPになった。
この記事では、「勝負強い」と言われてきた打者が、どんな数字を積み上げ、どんな状態で2009年を迎え、前半戦と後半戦をどう通過し、最後の6試合へたどり着いたのか。順番に追っていく。
出典:MLB.com — Hideki Matsui 2009 season notes/StatMuse — Hideki Matsui 2009/MLB.com — 2009 Awards/MLB.com — World Series single-game records
クラッチヒッターとしての歩み
松井のメジャーでの役割は、最初から「走者を返すこと」と強く結びついていた。2003年、メジャー1年目で106打点。2004年は108打点、2005年は116打点。デビューから3年連続100打点は、1940年以降にメジャーデビューした選手ではアルバート・プホルスと松井だけ、という記録。
2006年は左手首骨折で長期離脱したが、2007年には103打点。ヤンキース在籍7年間で100打点を4度記録した。打点は本人の力だけで決まる数字ではないが、打点が多いということは前の打者の出塁が多い強豪チームでレギュラーを張り続けるか、高い得点圏打率を残すか、多くのHRを打つ強打者かのどれかである。そのいずれかでも評価に値する以上、当時のヤンキースでの松井の存在感は大きなものだったこと示している。
さらに、ヤンキース7年間の得点圏打率は.301。通常の打率は.292、出塁率は.370だった。得点圏だけを特別視しすぎるのは危険だが、少なくとも「好機で極端に数字を落とす打者」ではなかった。エンゼルス移籍時、マイク・ソーシア監督も松井について、長打を打ち、勝負どころで打ち、走者を返せる打者だという評価を口にしている。
デレク・ジーターの後年の言葉も、松井の見られ方をよく表している。ニューヨークに来たときは『ゴジラ』という本塁打打者として期待された。しかしジーターが記憶していたのは、必要なら走者を進め、大事な安打を打ち、打点を挙げる『状況に応じて仕事をする打者』だった。2009年の結末は、その評価ときれいにつながる。
出典:MLB.com — Hideki Matsui career/2005 notes/Los Angeles Times — Angels sign Hideki Matsui/New York Yankees — Matsui retires as a Yankee
DHに専念した契約最終年
2009年は、松井にとってヤンキースとの契約最終年だった。前年の2008年には左膝を痛めて離脱し、9月に関節鏡手術。翌春もその左膝のリハビリでスプリングトレーニング最初の10試合を欠場した。かつて左翼を守っていた松井は、この年、事実上のフルタイムDHとしてシーズンを迎える。
チームの状況も特別だった。2009年は新ヤンキースタジアムの最初のシーズン。ヤンキースは103勝59敗、915得点、244本塁打という圧倒的な攻撃力ででア・リーグ東地区を制した。ジーター、テシェイラ、Aロッド、カノー、ポサダらが並ぶ打線で、松井も主に5番打者として中軸を担った。最終的に142試合に出場し、116試合でDH先発。膝の状態のため守備には就かなかった。
出典:MLB.com — Hideki Matsui 2009 season notes/New York Yankees — 2009 standings/New York Yankees — Timeline 2000s
前半戦は堅実だった
オールスターまでの78試合で、松井は打率.265、出塁率.367、長打率.517。14本塁打、40打点。数字は十分に良い。出塁率はシーズン通算と同じ.367で、長打率はむしろ後半戦より高い。ただ、この時点では2009年を特別な一年として語る材料はまだ揃っていない。
月ごとの波もあった。4月は打率.292と好発進したが、5月は.241、6月は.204。膝を抱えた35歳のDHが、毎月同じリズムで打ち続けていたわけではない。それでも完全に沈まなかったのがこの年の松井で、6月12日の35歳の誕生日にはメッツ戦で3ラン。前年の誕生日にも満塁本塁打を放っており、2年連続で自分の誕生日に本塁打を記録した。やはり特別な日には必ずと言って良いほど力を発揮するのが松井である。
7月に入ると打率.293、5本塁打、19打点まで戻す。7月5日のブルージェイズ戦では3ランを放ち、MLB通算500得点に到達。日本人選手ではイチローに続く2人目。さらに7月20日のオリオールズ戦ではサヨナラ本塁打。大きな見出しになる一打は、すでに少しずつ増え始めていた。
出典:StatMuse — Hideki Matsui 2009 splits/MLB.com — Hideki Matsui 2009 season notes
後半戦の得点圏打率.354
オールスター後の64試合は打率.284、出塁率.367、長打率.500、14本塁打、50打点。前半戦のOPSは.884、後半戦は.867で、総合的な打撃成績が劇的に跳ね上がったわけではない。最も目を引く数字が、後半戦の得点圏打率.354、79打数28安打である。
2009年の後半は、打撃結果が得点に結びつく場面へ集まった時期だった。この流れを象徴するのが8月で、24試合で打率.281、8本塁打、25打点。月間の“勝負どころで活躍した選手”を表彰する「Clutch Performer of the Month」に選ばれた。
8月13日から25日までの8試合では12安打、6本塁打、18打点。ヤンキースの選手が8試合のスパンで少なくとも12安打、6本塁打、18打点を記録したのは、ドン・マッティングリー以来だった。さらに8月13日から23日の遠征では、7試合のDH先発で6本塁打、15打点。遠征中に3度の複数本塁打試合を作り、球団史では1966年のミッキー・マントルに続く2人目になった。
極めつけが8月21日のフェンウェイ・パーク。レッドソックス相手に2本の3ランを放ち、自己最多の7打点。フェンウェイで1試合7打点以上を記録したヤンキースは、1930年に8打点を挙げたルー・ゲーリッグと松井だけだった。『勝負強い』という曖昧な言葉に頼らなくても、この夏には具体的な記録が並んでいる。
そして9月も勢いは止まらない。24試合で打率.325、出塁率.426、長打率.513、5本塁打、18打点。9月16日から22日には6試合で4本塁打。8月の一時的な爆発で終わらず、シーズンの最後まで打撃の状態を保ったまま10月へ入った。
勝負どころでの活躍を評価する月間表彰を受賞。
2本の3ランを放ち自己最多7打点。
5本塁打・18打点。好調を10月へつないだ。
出典:MLB.com — Hideki Matsui 2009 season notes/StatMuse — Hideki Matsui 2009 splits
ポストシーズンは最初から無双していたわけではない
ここで一度、物語を冷静にしておきたい。10月に入った松井が、その瞬間から毎試合打ち続けたわけではない。ツインズとの地区シリーズは9打数2安打、打率.222。第1戦で2ランを放ったが、シリーズ全体では1本塁打、2打点だった。一方で3四球を選び、出塁率は.417。ヒットが増えなくても打席を壊さない。
エンゼルスとのリーグ優勝決定シリーズは21打数5安打、打率.238。本塁打はなく、3打点。ここでも5四球を選んで出塁率.385を残した。地区シリーズと合わせると、ワールドシリーズ前の2ラウンドは30打数7安打、1本塁打、5打点。『松井が一人でヤンキースを勝たせていた』という内容ではない。
出典:Baseball-Reference — 2009 ALDS/Baseball-Reference — 2009 ALCS
ワールドシリーズで与えられたのはわずか13打数
相手は前年王者フィラデルフィア・フィリーズ。クリフ・リー、ハワード、アトリー、ロリンズなどを擁する黄金期。当時はナ・リーグ本拠地でDH制がなく、フィラデルフィアで行われた第3戦から第5戦では先発できない。ワールドシリーズ6試合のうち、DHで先発したのはニューヨーク開催の第1戦、第2戦、第6戦だけだった。
それでも出番を無駄にしなかった。第1戦は3打数1安打。第2戦はペドロ・マルティネスから勝ち越しのソロ本塁打を放ち、3打数2安打1四球。フィラデルフィアに移った第3戦では、代打の1打席で本塁打。第4戦は代打で凡退したが、第5戦はまた1打席で安打を残した。
第5戦終了時点で、松井は9打数5安打、2本塁打。打率はすでに.556だった。しかし打点はまだ2。シリーズMVP級の打撃ではあっても、『歴史に残るシリーズ』になるかどうかは決まっていなかった。残されたのは、ニューヨークでの第6戦だった。
ニューヨークでDH先発。
フィラデルフィアでは先発できず、1打席で結果。
再び1打席だけの出場でヒット。
出典:StatMuse — Hideki Matsui 2009 World Series game log/Baseball-Reference — 2009 World Series
11月4日。ヤンキースタジアム。シリーズはヤンキースの3勝2敗。勝てば2000年以来、9年ぶりの世界一が決まる。フィリーズの先発はペドロ・マルティネス。2回、先頭のアレックス・ロドリゲスが四球で出ると、松井の最初の打席が回ってきた。
フルカウントまで粘った8球目。マルティネスの速球を右翼スタンドへ運んだ。2ラン。これが試合最初の得点だった。フィリーズが3回表に1点を返した直後、今度はジーターの安打、デーモンの四球、テシェイラの死球で満塁。Aロッドが三振し、二死になってから松井が中前へ2点適時打。リードは4-1に広がった。
5回。テシェイラの適時打で5-1となり、Aロッドが死球で出塁。フィリーズは左腕J.A.ハップを投入した。左打者の松井に左腕をぶつける、通常なら自然な選択である。ただ、松井はヤンキース7年間で左投手に打率.294、右投手に.291。左右でほとんど成績が変わらない打者だった。松井はハップの球を右翼へ運び、2点二塁打。スコアは7-1になった。
本塁打、単打、二塁打。3本すべてが2打点。松井は4打数3安打6打点で、ヤンキースの7得点のうち6点を生み出した。6打点はワールドシリーズ1試合最多タイ。試合は7-3で終わり、ヤンキースは球団27度目の世界一を決めた。
シリーズ成績は13打数8安打、打率.615、3本塁打、8打点、OPS2.027。ワールドシリーズMVPは松井。日本生まれの選手として初、フルタイムの指名打者としても初の受賞だった。後年、本人はこの第6戦について、自分で打っているのに自分ではないような、何か不思議な力が働いていたように感じたと振り返っている。
出典:MLB.com — Yankees Game 6 of 2009 World Series/MLB.com — Yankees best single-game hitting performances/MLB.com — World Series single-game records/Los Angeles Times — Angels sign Hideki Matsui
最高の試合がそのままヤンキースでの最後の試合になった
この夜がさらに物語的なのは、第6戦が松井にとってヤンキースでの最後の試合になったことだ。2003年に海を渡り、7年間プレーしたニューヨークでの最後のスコアが、3安打6打点、世界一、ワールドシリーズMVP。敗退でも、衰えを印象づける試合でもなく、最も大きな仕事をした夜で終わった。
もっとも、その時点で『美しい最終回』として用意されていたわけではない。シーズン終了後、松井はFAとなった。ヤンキースには高齢化した主力をDHで休ませたいという編成上の事情もあり、DH専任の松井との再契約には積極的に動かなかった。12月、松井はエンゼルスと1年契約を結び、ニューヨークを離れた。
松井はその後もエンゼルス、アスレチックス、レイズでプレーする。それでもヤンキース時代という一つの物語だけを見ると、最後の1試合が最も松井らしい形で完結している。チームの事情に合わせて役割を引き受け、与えられた打席で走者を返し、最後に世界一を決めた。
出典:New York Yankees — Matsui retires as a Yankee/Los Angeles Times — Matsui with Angels/AFPBB — 松井秀がFA権を行使
第6戦は7年間のテーマが一夜に凝縮された試合だった
野球で『勝負強さ』を一つの数字だけで証明するのは難しい。打点には走者の有無が関係し、得点圏打率は打数が限られる。一試合の大活躍には偶然も混じる。だから、松井を『勝負強い男』と呼ぶ理由を第6戦の6打点だけに置くと、物語は薄くなる。
見るべきなのは積み重なりだ。メジャー1年目から3年連続100打点。ヤンキース7年間で4度の100打点、得点圏打率.301。2009年後半は得点圏打率.354。8月25打点、9月18打点。そしてワールドシリーズでは、先発できる試合が3試合しかない中で13打数8安打。最後の第6戦で6打点。どれか一つではなく、同じ方向の数字が長い時間軸で重なっている。
引退後、ジーターは松井を『状況に応じて仕事をする打者』として振り返り、ブライアン・キャッシュマンGMは2009年の優勝リングを松井の働きと結びつけた。ジョー・ジラルディ監督は、打線の中軸としての生産力だけでなく、クラブハウスで愛された存在だったと話している。
2009年11月4日に突然、勝負強い打者が生まれたわけではない。その夜に起きたのは、むしろ逆だった。長く『走者を返す』ことで価値を作ってきた打者の7年間が、ヤンキースでの最後の一夜に、これ以上ないほど分かりやすい形で現れた。それが2009年の松井秀喜だった。
出典:New York Yankees — Matsui retires as a Yankee/New York Yankees — reaction to Matsui retirement