「勝負する」という前提が壊れた年。
2001年の73本塁打は分かりやすい。2002年の打率.370も分かりやすい。だが2004年の異様さは、ひとつの数字では説明しにくい。相手バッテリーがボンズを打ち取ることより、そもそも打たせないことを優先し始めたからだ。
147試合で232四球。そのうち120が敬遠。MLB.comのシーズン記録では、出塁率.609、長打率.812、45本塁打、41三振。歩かされ続けながら、ストライクが来た瞬間だけを仕留める。2004年は「打撃成績」よりも、相手の戦術そのものがボンズの支配力を物語るシーズンだった。
同じリーグにいるのに、ひとりだけ別の競技をしている
2004年の出塁率2位はトッド・ヘルトンの.469。普通なら歴史的な数字だ。ところがボンズはそこからさらに.140上の.609。OPSでもボンズは1.422で、アルバート・プホルスの1.072、ヘルトンの1.088を大きく引き離した。
四球数も極端だ。ボンズの232に対し、2位グループは127。差は105個。しかもボンズは373打数しかない。打席のかなりの部分が、バットを振る前に終わっていた。
120敬遠は「記録」ではなく、相手の作戦だった
ボンズは147試合のうち121試合で少なくとも1四球を記録し、76試合で複数四球。敬遠だけでも80試合で受けた。つまり、シリーズの一部で避けられたのではない。シーズンを通して「ボンズとは勝負しない」が日常の戦術になっていた。
敬遠だけで120。本人の旧記録68を大幅に更新した。
この空気は2004年に突然始まったわけではない。1998年、ダイヤモンドバックスのバック・ショーウォルター監督は、9回2死満塁でボンズを敬遠し、1点を与えてでも次打者との勝負を選んだ。結果は成功。満塁での敬遠という極端な判断が成立したこと自体が、当時からボンズがどう見られていたかを示している。
出典:MLB Vault — bases-loaded intentional walk / MLB.com Barry Bonds bio
エリック・ガニエだった。
当時のガニエは前年のNLサイ・ヤング賞投手で、連続セーブ記録を伸ばしていた最強クローザー。9回、ドジャースが3点リード。ボンズとガニエには、2002年の日米野球で交わした「条件がそろったら勝負する」という約束があったと、後にガニエ自身が振り返っている。
ガニエは99〜101mphの速球で押した。ボンズは強烈なファウルを一本挟み、最後は100mph級の速球をセンターへ2ラン。試合はドジャースが3-2で勝ったが、その一打は2004年を象徴する場面になった。
「だから彼は史上最高なんだ。」
— Eric Gagné, 試合後
最強の打者と最強のクローザーが「歩かせずに」正面衝突したからこそ、この打席は特別だった。
出典:MLB Video / SABR / Los Angeles Times
歩かされているだけではない。甘い球をほぼ逃さなかった
敬遠が多いと「打つ機会がなかった」で話が終わりがちだが、2004年の怖さはその先にある。45本塁打に対して三振は41。MLB.comによると、40本以上を打ちながら本塁打数が三振数を上回ったのは、当時史上5人目の記録だった。
相手はボール球を増やす。ボンズは追わない。カウントを悪くして歩かせるか、ストライクを投げるか。そこで投げ込まれた数少ない勝負球を、今度は長打にする。2004年はパワーだけではなく、選球眼と一球の処理能力が極端な水準で噛み合ったシーズンだった。
2004年は、記録への旅でもあった
名付け親でもあるウィリー・メイズに並び、通算本塁打で歴代3位タイ。
翌日にメイズを抜き、単独3位へ。
リッキー・ヘンダーソンの通算四球記録を抜く。
ジェイク・ピービーから左中間へ。ベーブ・ルース、ハンク・アーロンに続く史上3人目の700本塁打到達者になった。
4年連続、通算7度目のNL MVP。いずれも前例のない回数だった。
出典:MLB.com Barry Bonds bio / MLB.com 700 Home Run Club / MLB 2004 Awards
対戦した人間ほど、説明が極端になる
殿堂入り右腕マダックスは、ボンズを逆説的に「最も投げやすい打者」と表現した。理由は、重要な場面なら無理に勝負せず歩かせればよかったからだという。
Hall of Fame pitcher後年、マッコビーは長くテッド・ウィリアムズを最高の打者だと思っていたとしたうえで、最終的には「史上最高の打者は25番」とボンズを評した。
Giants legend / Hall of Famer2004年4月の直接対決で本塁打を浴びたガニエは、試合後にボンズを「史上最高」と評した。負け惜しみではなく、最高の速球を投げて打たれた直後の言葉だった。
2003 NL Cy Young Award開幕時39歳。シーズン中に40歳になって、なおMVPだった
ボンズは2004年7月24日に40歳になった。それでも打率.362でナ・リーグ首位打者、出塁率.609、長打率.812、45本塁打。MLBによれば40歳でMVPを受賞した最初の選手となり、4年連続・通算7度目のNL MVPを獲得した。
年齢による衰えを語るはずの時期に、相手が勝負を避ける頻度はむしろ最大化した。2004年の不気味さは、ピークの長さそのものにもある。
出典:MLB.com — oldest MVP / batting champion / MLB 2004 Awards
このシーズンは、PED論争と切り離して語ることもできない
2004年のボンズを評価するとき、BALCO問題を無視するのも不自然だ。2004年12月、前年の大陪審証言について、ボンズがトレーナーから渡された「クリーム」と透明な物質を使用した一方、ステロイドだとは知らなかったと証言していたと報じられた。これ以降、彼の記録は打撃技術そのものへの驚嘆と、PEDをめぐる評価が常に並行して語られることになった。
このページでは、その論争を消して数字だけを神話化するのでも、逆に数字そのものを無かったことにするのでもなく、「2004年に実際に起きた野球上の異常さ」と「その評価を複雑にする歴史的背景」を分けて見ることにする。
出典:ESPN — 2004年12月のBALCO大陪審証言報道 / MLB.com — Barry Bonds top moments
では、なぜ「73本塁打の2001年」ではなく2004年なのか
2001年は、ボンズがどれだけ遠くへ飛ばせるかを見せた年だった。2004年は、相手がその能力をどう扱ったかを見せた年だった。
そして、打たせないために232回歩かせても、45本のホームランを許した。だから2004年のボンズは、単なる「高OPSのシーズン」ではない。相手の意思決定まで成績表に刻まれているシーズンだ。